ゴールデンウィーク中に卒業生の息吹と舞鶴に釣りに行きました。
彼は京大理学部の博士課程3回生で、昨年まで8年間、塾のチューターとして活躍してくれました。これはチューター勤務の最長記録です。
それまでは府立医大生だったH君が7年間チューターをしたのが最長でした。H君はソフトテニスを頑張り過ぎて留年し学生生活が7年になったことと、最終学年になってもチューターを継続したことで勤務期間が長くなったのです。
医学部最後の年は国家試験の準備等で忙しいはずですが。
ということで、この最長記録が破られることはないと思っていたのですが、破られました。
おそるべし、息吹。
ところで、チューターの仕事は主に質問対応と通信講座小テストの採点ですが、受験生のための演習問題を選んだり、場合によっては選んだ演習問題をTexで打つこともあります。各々には大体週1回2時間程度働いてもらうことにしています。
我々とは概ね、仕事を介しての付き合いになりますが、仕事に余裕がある時間帯には余談をすることもありますし、生徒だったときとは違った関係になるので、彼らのサークルや趣味の話で盛り上がることもあるのです。特に、テニスをしている卒業生とは勝負しようじゃないかということに必ずなります。
しかし、今回のようにチューターと、あるいは元チューターと釣りに出掛けるのは初めてのことでした。
息吹はアウトドア派で、名古屋ぐらいまでだったら平気で自転車で行ってしまうようなタイプです。それに、釣りも大好きで、ルアー釣りには結構はまっています。となると、ついつい、どこそこに行って、何を釣ったという話になることが多く、いつか一緒に行こうと言いつつ、その計画が延び延びになって、遂にこのゴールデンウィークに実現することになりました。
今回の釣りについては、たくさん釣れたのはよかったのですが、そのほとんどがイサキだったのは残念なところです。胴突き仕掛けで、五目釣りを楽しむ予定だったので、アジ、タイ、ガシラ、サバ等、いろんな種類の魚が釣れることを期待していたわけです。しかし、3人で釣ったのはイサキのほかはウマズラが数匹、アジ、ソイが1匹ずつで魚種としてはさびしい結果になりました。
こればかりは、自然を相手にしていることなので、仕方がありません。

(興心がイサキを釣ったところ)

(ソイ、高級魚らしいです)
さて、息吹が京大理学部の特色入試が今年で終わることについて、面白い話をしていたので共有しておきます。
特色入試が始まって、ちょうど今年が10年目で、京大側の説明では一定の成果が出たのでここで区切りとするということでしたが、どうも本音は違うようです。
あまり、いい学生が取れなかったということのようです。
数学科については優秀な学生が入ってきているけれども、彼らは一般入試を受けても合格したはずであり、その他の学科については一般入試で入ってきた学生の方が優秀だったそうです。
それはそうだろうという気がします。
たとえば、生物にしか興味がない学生が特色入試で入学したとして、研究者としてやっていけるのかと問われると、危うい感じしかしませんから。
同様に、女子枠なんかも意味がないと言っていました。
全く同感です。京大は研究者を育成するための大学であり、それに適するかどうかを考える上で男女比がどうなっているかなんてどうでもいいことです。
加えて、総合型選抜(AO入試)もダメだと。
アメリカのAO入試ではボランティア活動をしていたことが評価されるということで、高校生にボランティア活動を経験させるツアーが存在しているわけですが、ここまでいけば笑い話です。そうして集めた学生は似たようなタイプの優等生ばかりで、面白みがないと聞きます。
研究分野でアメリカの大学が実績を出しているのは、お金を出しているからであって、優秀な学部生を集めているからではありません。
実際、京大や東大からの大学院生をアメリカのトップ大学は歓迎しています。それは、京大や東大出身の学生の方が優秀だということを彼らが知っているからです。しかも学生としてではなく、研究者として雇う形になるので、給料まで出るのです。
それなのに入試制度で、成功している日本のやり方をやめて、アメリカの真似をするのは、一体どういうことなのでしょうか。
東北大学がすべての入試を総合型選抜に切り替えようとしていますが、自殺行為にしか見えません。
東北大学と言えば、国際卓越研究大学にいち早く認定されたことでも有名ですが、これもいいことだとは言い切れないようです。
この話は私にとって少し意外でしたが、研究が進むためには複数の大学が互いに近い分野を研究していることが健全な状態で、一ヵ所に資金を投入し、一極集中型にしてしまうと、その健全な状態が損なわれるという説明でした。
そうなのかもしれません。
意外ついでで、もう一つ付け加えると、英語での授業についても否定的でした。
講義する側も聴く側も英語力が不十分な状態で強行しても、講座のレベルが落ちるだけだとのことで、そう言われると確かにその通りだと思います。思っていたほど簡単な問題ではないことを知りました。英語での発信力を上げるべきだということについては間違いのない事実だと思いますが、多くの過程を経てそうなるのであって、単に授業を英語ですればいいというものではないようです。

