「地域による教育格差」のところで、Z会には多くの問題があると書きました。
もちろん、いいところもたくさんあり、特に宣伝力はすごいです。一つには生徒名簿を持っていることが大きな強みであり、予備校が模擬テストを実施するのは名簿を得るためでもあるのです。それがあると、効果的な宣伝ができるということです。
実際、Z会京大マスターコースを立ち上げたとき、冬期講習に全国から生徒が集まり、驚かされました。(1994年12月の冬期講習から京大マスターコースは始まった)もちろん、自宅から通える範囲から来ている生徒が多かったですが、ホテルをとって参加している生徒も相当数いました。
それから、宣伝の仕方も抜群に上手いと思いました。すなわち、予備校と塾の良い所どりをした対人教育機関を作るという構想の説明で、次のような感じでした。
予備校では、講師と生徒の距離が遠く、講師は個々の生徒の成績等を把握していないどころか、生徒の名前さえ知らないのが一般的であるのに対し、塾では講師と生徒の距離が近く、予備校の弱点を補っている反面、講師の力量が予備校に比べて見劣りします。
もし、予備校講師を使って塾のシステムを運用し、気軽に質問できる体制を整えれば、どんなことが起こるかという問いかけに始まり、それを実現したのが「Z会京大マスターコース」だという説明でした。
特に成績上位層に対して説得力があったと思います。
ところが、理想と現実が食い違うのはよくある話で、テキストに対する考え方は根本的に間違っていると思いました。
「テキストとは何か」のところで、D先生から習ったテキストについての考え方について書きました。高校数学を1つのストーリーとして語るならば、何をどのような順序で説明するかを考えて目次を作り、それにしたがい、説明の材料として問題を選ぶというものです。
ここで重要なのは「説明」が先で、そのための「問題選び」が後だということです。
チャートやフォーカスゴールドは網羅性を重視した「問題選び」が先で、それに「説明」を付けることで作られており、これはテキストではなく、辞書を作るときの考え方です。
では、「Z会京大マスターコース」のテキストはどうだったのか。
背後にストーリーはあったのだと思います。しかし、大学数学をよく知るどなたかに作ってもらったことが見え隠れしていて、随所に大学数学特有の表記や用語が出てきていました。
一段高いところから見るのは必ずしも悪いことではありませんが、高すぎると高校生の現実から乖離してしまいます。
それに、選ばれている問題が難しすぎました。そうすると、テーマがぼけます。
受験生向けのZ会の教材を見ると、既にある程度の学力が出来上がっている生徒を対象に難しい問題をぶつけ、「どうだ、君たちはまだまだだろう!」と上から目線でリードするようなものが多く、こういう「かっこをつける」のが大好きなところがZ会の特徴です。
これでは骨組みを作ることができませんし、力も付きません。
その後しばらくして、D先生からテキスト作りの基本を学び、私の力が及ぶ範囲で京大マスターコースのテキストを作り直していきましたが、Z会の根本的な考え方を変えることはできませんでした。
その結果がどうなったかは、事実が示す通りです。
稲荷塾の運営が忙しくなり、私が京大マスターコースを離れると、生徒は次第に集まらなくなり、「京大マスターコース」の看板を下ろさざるを得なくなったのです。あれほどの勢いがあったことが嘘のようです。

